三室戸寺のハート型の紫陽花

5 宇治の川瀬に 「三室戸寺」

京阪宇治駅の改札を出ると、すぐ目の前、宇治川のたもとにある甘味処が目に入った。「御茶屋つうゑん」というのれんを背景に、見覚えのある男性が、縁側で茶団子を食べている。
 
もてあました長い足を組み、せせらぎに耳を澄ませるよう、宇治川を眺めるその横顔。雨上がりの世界を乾かすように吹く風に、ふわりとなびくやわらかい髪。光源氏のような佇まいは、道行く人の視線を奪ってやまない。
 
間崎教授はわたしに気づくと、自分が店主であるかのように、こっちへいらっしゃい、と手招きをした。
 
「遅い」
 
「これでも、急いで来たんですけど」
 
わたしは息を弾ませながら答えた。
永観堂から突如宇治へと呼び出されたのが約1時間前。一目散にここへ来たことを、もう少し褒めてもらいたいものだ。両頬をリスのように膨らませていると、教授は茶団子を1本差し出して、
 
「御坂さんも食べるかい」
 
「いただきます」
 
わたしは素早く食らいついて、教授の隣に腰かけた。
 
「ほへで、ほようへんははんへふか」
 
「食べるか話すかどちらかにしなさい」
 
ごくりと茶団子を飲み込んだら、喉の奥につっかえてしまった。慌てて胸のあたりを叩いていると、教授がさりげなく湯のみを渡してくれた。緑茶を喉に流し込んで、ふう、と一息つく。なんだ、優しいところもあるじゃない。
 
「それで、ご用件は何ですか」
 
「実は、御坂さんに撮ってほしいものがあるんです」
 
「もしかして、平等院鳳凰堂ですか?」
 
それならわたしも知っている。身を乗り出して尋ねると、教授は嘲るように鼻で笑った。
 
「君は教科書に載っているようなところしか知らないんだな」
 
――前言撤回。
ああ、通行人のみなさま。見た目に騙されてはいけません。この教授、相当性格が悪いです。
 
「三室戸寺って知って……いや、知らないでしょう」
 
「き、決めつけないでください。……知らないですけど」
 
「今の時期、あじさいが見頃でね。君の実力で美しく撮ってほしいんだ。カメラは持ってきていますね」
 
「持っていますけど……わたしのこと、便利屋だと思っていませんか」
 
「もうお代は払ったでしょう」
 
「お代って」
 
わたしは、はたと動きをとめた。まさに今、手に持っているものをじっと見つめる。
 
「……もしかして、このお団子?」
 
教授は素知らぬ顔で曇り空を見ている。わたしは悔しさを押し殺すように唇を噛んだ。
しまった。食べてしまった。
 
 
 
 
 
三室戸寺は、「つうゑん」から15分ほど歩いたところにある。ゆるやかな坂を上り山門を抜けると、視界いっぱいのあじさいがわたしたちを迎えた。
 
「わぁ、きれい!」
 
思わず、乙女のようにはしゃいでしまった。青、紫、そして桃色。右を見ても左を見ても、色とりどりのあじさいが笑うように咲き誇っている。教授いわく、このあじさい園には50種類、約1万株も存在しているのだとか。進めば進むほど、あじさいの海に身を浸しているような気分になって、思わず泳ぎ出したくなる。
 
「見てみなさい、御坂さん」
 
興奮しているわたしのはるか先で、また教授が手招きしている。歩み寄って見てみると、なんと、あじさいがハートの形をしているではないか。
 
「すごい、かわいらしいですね」
 
「この寺では有名なんだよ。ハートのあじさいを見つけると、恋が叶うとか。……女性は、こういうのがすきでしょう」
 
「だから連れてきてくださったんですか」
 
「まさか。……たまたまだよ」
 
教授はぶっきらぼうに答えると、すたすたと先に進んでいく。わたしはふふっと微笑んで、その、気恥かしそうな背中を追いかけた。
 
 
 
 
 
三室戸寺は「京都の花寺」とも呼ばれる花の名所だ。
5月のつつじ、6月のあじさい、7月の蓮。「つつじ寺」「あじさい寺」「蓮の寺」と、季節によって愛称が変わるこの寺は、どんな色にも染まることができる千両役者のよう。
 
「それにしても、あじさいって、なぜこんなにカラフルなんでしょう」
 
「育つ土壌の違いだよ。土が酸性の場合青系の色に、アルカリ性や中性だと赤系の色になる」
 
「……教授って、物知りなんですね」
 
「これくらい、常識でしょう。なぜ知らないんだ」
 
「だ、だってわたし、文学部ですもん……」
 
言い訳にならない言い訳をして、わたしは唇を尖らせた。この教授、欠点というものがないのかしら。じぃっと横顔を見つめてみるけれど、弱点どころか、逆に強みを見せつけられてしまった。黙っていれば文句のつけどころがないのだから、本当に困ったものだ。
 
こうなったらたくさん写真を撮って、金福寺を訪れた時のように、教授を感心させてやろう。わたしは固く決意して、パシャパシャとシャッターを切っていった。
 
「京都といえば桜か紅葉だと思ってましたけど、あじさいもいいですねぇ」
 
ファインダーをのぞき込みながら、しみじみとつぶやく。
毎年、梅雨の時期になると、雨に濡れるのが億劫で、家に引きこもってばかりだった。桜が散ってしまったら、一体何を見ればいいの。何を撮るのが楽しいの。中途半端なこの時期に、撮るものなんて何もない。そんな風にふてくされて、あじさいの美しさにも、色が変化する理由にも、目を向けようとしなかった。
 
「気づくのが遅い。ところで、写真は?」
 
「気になりますか?」
 
「……ちゃんと撮れているか、心配しているんだよ」
 
「そんなに見たいなら、見せてあげてもいいですよ」
 
ふふん、と意地悪く言ってやる。散々ばかにされているのだから、このくらいのお返しをしても、きっとばちはあたるまい。教授は悔しげにカメラを受け取り、あじさいの写真をのぞき込んだ。
 
――瞬間。
 
雲の隙間から漏れる光のように、教授の瞳がやわらかくなった。つい今し方まで、わたしを憎らしげに見ていたというのに。それは、講義中に見せる穏やかな微笑みとはまた違う。もっと素直で、もっと純粋。
 
わたしは息をするのも忘れて、その横顔に見入った。冷たいと思えば優しくしたり、 意地が悪いと思えば、綿菓子のように笑ったり。ああ、一体この人は、あと何種類、色を隠しているのだろう。
 
「凡人でも、一つは特技を持っているものだね」
 
「……教授って、友だちいないでしょう」
 
「そんなことを言われたのは初めてだ」
 
「言ってくれる友だちがいないからですよ、それ」
 
憎まれ口を叩き合っていると、あっという間に出口に着いた。あじさいに包まれていると、時間が光のように過ぎてしまうから、ふしぎ。虚無感と同時に、忘れていた現実がすぅーっと体中に広がって、ぎゅるぎゅるとおなかの虫が鳴く。
 
「そういえば、おなかがすいてきました」
 
「さっき茶団子を食べたばかりでしょう」
 
「お昼ご飯は食べていないんです。とある教授に突然呼び出されたので、食べる暇がなくて」
 
わたしはおなかを押さえて、今にも死にそうな声を出した。教授がぐっと言葉に詰まる。あ、その表情も、初めて見るわ。
 
「伊藤久右衛門って知らないだろう」
 
「なぜ、知らないことを前提で話すんです。知っていますよ、抹茶パフェがおいしいところ」
 
「しかたない。そこで一息つこう」
 
「ですがわたし、甘味ではなくお食事がしたいんです」
 
「相変わらず無知だね、君は。茶そばを食べようって言っているんだよ」
 
茶そば、ですって。
ぱっと輝いたわたしの顔を見て、教授はまた、ばかだねぇ、とおかしそうに笑った。
 
 

正式名称  三室戸寺(みむろとじ)
山号  明星山
宗派  本山修験宗別格本山
創建年  宝亀年間(770年~781年)
住所  宇治市莵道滋賀谷21
電話番号  0774-21-2067
URL  http://www.mimurotoji.com
アクセス  ・京阪 三室戸駅下車、徒歩15分
 ・JR宇治駅よりバスもしくはタクシー
拝観時間  4月〜10月 8時30分〜16時00分(16時30分には下山していただきます)
 11月〜3月 8時30分〜15時30分(16時00分には下山していただきます) 
拝観期間  ※年末休み (12月29,30,31日)
 ※各種警報の発令の場合、拝観中止となります。
拝観料   大人500円 / 小人300円

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