平安神宮神苑の枝垂れ桜

2−2 咲くと見しまに「平安神宮」

入学、進学、卒業、引っ越し。
 
わたしにとって桜は、始まりと終わりの象徴。いつだって春は人生の節目と重なっていて、未来に対する期待と、過去に対するさみしさが混濁している。特に去年は、大学合格に引っ越しと、人生で最大の変化があったものだから、例年にも増して穏やかな心境ではいられなくって、毎日バタバタと走り回っていた。もっと心に余裕を持ちたいわ、ゆっくり桜を鑑賞したいわ、なんて思っていたけれど、やっぱり今年もわたしは落ち着きがない。桜を見るために、今日もこうしてカメラを持って外に出る。
 
「やっぱり桜っていいですねぇ」
 
目の前を覆い尽くす桜を見ていたら、自然とそんな言葉が口から漏れた。まだかろうじて10代なのに、なんだかおばあさんみたいな口調になってしまった。隣を歩く間崎教授もそう思ったのか、風景に向けていた視線をわたしに向け、大げさに眉をしかめた。
 
「どうしたんだ、そんなに改まって……」
 
「いえ、去年は引っ越しや入学準備で忙しくて、ゆっくり桜を見る機会がなかったなぁって思い出したんです。写真を撮る暇すらなかったから、せっかく京都に来たのに桜の写真が1枚もなくて……」
 
先日、パソコンに入れていた写真データを整理する機会があった。教授と初めて一緒に訪れた金福寺、母とともに行った貴船神社、秋の紅葉に、雪の金閣寺。四季折々の風景を眺めていると、いろいろなところに行ったなぁ、と思うと同時に、そこに桜が写っていないことにさみしさを感じてしまう。いくら後悔したって、過ぎた時間は巻き戻らないのだけれど。
 
わたしの声色に紛れた微かな思いを察したのか、教授は安心させるように微笑んだ。
 
「それなら、今年は去年の分まで桜の写真を撮ればいい。まだあと1週間くらいは盛りだろうから」
 
「そうします。桜の名所にすぐ行けるって、京都のいいところですよね。哲学の道に平安神宮、銀閣寺……テレビでも特集されるような桜の名所がたくさんあるのって、本当に贅沢」
 
「桜もいいけど、神苑のよさもしっかり見ておくこと」
 
「もちろん!」
 
わたしは大きくうなずいて、意気揚々と足を進めた。
 
 
 
 
 
哲学の道のあとにわたしたちが訪れたのは、平安神宮・神苑。金閣寺と同様、平安神宮にも修学旅行で一度来たことがある。だけどその時はあまり時間がなくて、神苑の中までは入らなかった。なので、教授から「桜の名所」と聞いても、神苑を連想することができなかったのだ。名前は知っていても実際にそこに何があるかは、やはり訪れてみないと分からないものだ。
 
平安神宮は、明治28年に京都の始祖である桓武天皇を祀る神宮として創建されたのが始まり。その後孝明天皇を合祀して社殿や回廊などが増築され、現在の形に整えられたのだという。
 
神苑は東・中・西・南の四苑から構成された池泉回遊式庭園で、神苑を含む神域は国の名勝にも指定されている。入り口の門をくぐると、まず目に飛び込んでくるのは美しい紅しだれ桜。空から降り注ぐ桜の雨が、青空によく映えている。美しさというものは、何度シャッターを切っても満足することがない。教授に言われたように、去年の分まで写真を撮らなくちゃ、と意気込む。
 
有名な場所というだけあって、神苑内は大勢の人で溢れ返っている。外国の方も少なくはなくて、本当に特別な美しさがあるのね、としみじみ思う。その一方で、人が多ければ多いほど、一抹の不安が胸に生まれる。
 
――知り合いに会ったら、どうしよう。
 
平安神宮は大学からも近いし、知名度も抜群。そうなると、当然同じ大学の学生に会う可能性もあるわけで。わたしはともかく教授のことを知っている人は多いだろうし、そうなったら、どう言い訳したらいいんだろう。
 
別に後ろめたいことがあるわけではないけれど、教授はとにかくむだに人気があるから、いろいろと面倒くさい。まぁ性格はともかく、大学教授の中では若手だし、単位はほぼ100パーセントくれるし、講義の内容もおもしろい。それに加えて――と、わたしはちらりと隣を見上げる。
 
「……なんだ、人の顔をじろじろと……」
 
そう、この教授、性格は悪いが容姿は相当整っている。春風になびく髪と知的な眼鏡、あとはその洗練された佇まいが桜の海にものすごく似合っていて、それゆえ、一部熱烈なファンがいるのもまた事実。わたしの所属する文学部でも人気が高く、もしその界隈の人々に今の状況を見られたら……と、考えただけでおそろしい。それに、そういうミーハーな女子グループはちょっぴり苦手。なんというか、住む世界が違う気がする。
 
まぁ、当の本人は自覚があるのかないのか、世間の目なんて気にもかけていないように、風で乱れた前髪を鬱陶しそうに振り払いながら、マイペースに桜を眺めている。これで口を開かなければいいのに。もったいない。実にもったいない。
 
知り合いに会うことを気にしてもしかたない、その時はその時だ、と開き直ってカメラを構える。そう、わたしは撮影係なのだから、任務を全うしていればそれでよい。
 
「平安の苑」と呼ばれるエリアには、伊勢物語や古今和歌集など、平安時代に著された書物の中にある植物が、その一節の紹介とともに植栽されている。わたしの足元には「あなこひし 今もみてしが 山がつの かきほにさける やまとなでしこ」の和歌があって、いつか咲き誇るなでしこの花を連想させる。
 
「神苑には桜以外にもたくさん植物があるんですね。それに、添えられている和歌も素敵。わたし、こう見えて結構和歌がすきなんですよ」
 
「そういえば、君は東洋文化学系に進むんだったね」
 
「はい、まだ専修はどれにするか決めてないんですけど。もちろん、教授の講義も履修するつもりです」
 
わたしの所属する文学部では、2回生から「学系」に分かれ、より専門的な科目を履修することができるようになる。わたし、御坂琴子が選択した「東洋文化学系」では、日本、中国、インドを中心とした3つの文化圏を対象とした文学、思想、文化を研究することになる。歴史基礎文化学系と迷ったのだけれど、3回生で専修に分かれる際には所属する系に関わらず選ぶことができるので、とりあえずは直感に従い東洋文化学系を選ぶことにした。別に教授がいるからとか、そういう感じではない。断じて。
 
「私の講義なんて取らなくていいよ。大した話してないから」
 
「……それ、絶対他の学生の前では言わないでくださいね」
 
だってほら、またこうやって適当なことを言うし。こんな適当な人だなんて、教授のファンでもなかなか知るまい。まぁ、でも口ではこう言いつつも実際講義をするとしっかりしているのだから、要領がいい人というのは本当にずるいな、と思う。この人の「適当」は、わたしの「適当」とは違うのだ。
 
神苑の4分の1を占める池には、雲一つない青空がそのまま映っている。こんな特別な場所にすぐに行けるのが、京都の魅力。今更ながら、贅沢な学生生活を過ごしているなぁ、としみじみ思う。
 
「有名な場所だから人も多いけれど、一度来てみる価値はあるだろう」
 
「本当ですね。2回生、いいスタートが切れそう」
 
うーんと大きく伸びをすると、カメラについているこん様のストラップがゆらゆら揺れた。きっとこん様も、春の訪れを喜んでいるんだわ、なんて。
 
「そういえば、進級するにあたって、何か目標はあるかい?」
 
「えっ?」
 
突然、真面目なことを言われたので驚いた。見上げると、教授は池に映ったリフレクションを興味深そうに眺めていて、わたしの方なんて見向きもしていない。
 
「何ですか、いきなり」
 
「桜の盛りと同じように、学生生活はすぐに過ぎ去ってしまう。2回生で、何か一つやりたいことを見つけ、それを成し遂げてみなさい。別に学業のことじゃなくていい。小さなことでいいんだよ。そうすることで、有意義に時間を使えるようになるから」
 
「……ものすごい指導者らしいこと言いますね」
 
「一応、教授と学生、でしょう」
 
ようやく教授がこちらを向いた、と思ったら、茶目っ気たっぷりに笑う。自分でも、らしくないことを言ったと思っているのかも。
 
わたしは舞い散る桜をぼんやりと見上げた。大学2回生のわたし。19歳のわたし。卒業なんてまだはるか先のことに思えるけれど、うかうかしていたら、この桜と同じように、咲いたと思ったら一瞬で過ぎ去ってしまうのだろう。
 
去年は京都に越してきて、教授と出会い、たくさん写真を撮ってきた。今年も同じように京都を巡ろうとしていたけれど、それだけではだめなのかしら。もっと、次の段階に進まないといけないのでしょうか。うーんと頭を悩ませてみるけれど、なかなか良いアイディアが思い浮かばない。わたしはすぐに根を上げた。
 
「……だめだ、やっぱりすぐには思いつかないです」
 
「まぁ、ゆっくり考えればいい。その時間もまた、有意義なものだよ」
 
教授はこともなげにそう言いながら、ゆっくりと神苑を進んでいく。わたしも頭を悩ませたまま、その背中についていった。
 
19歳、2回生。
青春の第2章。
もしかしたらこの1年は、去年とまた違った1年になるのかもしれない。
 

エリア #哲学の道・岡崎
テーマ #神社
季節 #春
花・植物 #桜

名称 平安神宮
主祭神 桓武天皇、孝明天皇
創建 明治28年(1895年)3月15日
住所 京都市左京区岡崎西天王町97
アクセス ・JR「京都駅」より、市バス5系統、洛バス100号・110号系統
 「岡崎公園 美術館・平安神宮前」下車 北へ徒歩5分
・阪急「河原町駅」より、市バス5系統、46系統、32系統
 「岡崎公園 美術館・平安神宮前」、「岡崎公園 ロームシアター京都・みやこめっせ前」下車北へ徒歩5分
・祇園・清水寺方面より、市バス201系統、203系統、206系統、「東山二条・岡崎公園口」下車 東へ徒歩5分
 洛バス100号系統「岡崎公園 美術館・平安神宮前」下車 北へ徒歩5分
・地下鉄東西線「東山駅」下車、徒歩10分
・京阪鴨東線「三条駅」または「神宮丸太町駅」下車、徒歩15分
TEL 075-761-0221
URL http://www.heianjingu.or.jp
参考 最新の情報はHP等でご確認ください。

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