河合神社

2−3 向かう鏡の「河合神社」

「あたし、彼氏できた」
 
水曜日、昼下がり。
 
京阪出町柳駅近くの「かぜのね」にてランチをしていたわたしは、目の前にいる友人の口から出た一言で、ぴたりと箸の動きをとめた。
 
友人の名前はみっちゃん。同じ文学部で、テニスサークル幽霊部員。茶色く染めたボブヘアに、両耳にはピアス。背はすらりと高くって、目鼻立ちもしっかりとしていて、スタイルも抜群。わたしと正反対の彼女だけれど、牛丼屋にもひとりで入れちゃうところとか、大人数で群れるのがきらいなところとか、案外古い小説がすきなところとか、気の合うところが多くって、今ではわたしの1番の友だち。お寺とか神社とか、そういう場所にはあまり興味がないみたいだけれど、おしゃれなカフェがすきなので、ふたりでこうしてたまにランチやお茶をしている。
 
そんな彼女からの突然の報告に驚きつつも、そうか、そりゃそうだ、美人だもん、なんて妙に納得したわたしは、再び箸を動かすことにした。
 
「へぇ、そうなんだ。誰?」
 
「バイト先の先輩。3回くらいご飯行って、4回目に告白された」
 
「へぇー。あ、このハンバーグおいしい」
 
「……本当に琴子って、恋愛話に興味ないよね」
 
ハンバーグを頬張るわたしを見ながら、みっちゃんがため息混じりにつぶやく。諦めたように首を傾げたその瞬間に、耳についている青色のピアスがきらりと光った。沖縄の海を映したようなそのピアスは、光のあたる角度によって繊細に濃度を変える。ホタルガラス、というらしい。会うたびに違うピアスの種類をつけているみっちゃんを見るたびに、毎日選ぶの大変そうだなぁ、と思う。たぶん、こういうところが女子力の差なのだ。
 
「いや、まぁ琴子らしくていいんだけどね。カメラも楽しいとは思うけど、他にすきなこととかないの?」
 
「たとえば?」
 
「たとえば、そうだなぁ……ファッションとか、メイクとか。琴子、全然女っ気ないじゃん」
 
そういえば、去年母にも似たようなことを言われたような気がする。わたしは箸を口にくわえたまま、自分の着ている服に目線を落とした。春が進み気温が上昇した今日は、7分丈のシャツにゆるめのジーンズ、履き古した白のスニーカーと、相変わらずラフな格好をしている。数年前の写真を見ても、多分同じような服装をしているんだろうな、と容易に想像がつく。
 
そうは言われても、興味のないものはないんだからしかたがない。服は着ることができれば何でもいいし、メイクもしたいとは思わない。だって大学へ行くだけだし、別にすきな人に会うわけでもないし。
 
「あっ、食べることはすき。チェルキオのお豆腐メロンパンなら10個くらい一気に食べれる」
 
「うん、それは知ってる。っていうか、見れば分かる」
 
まだハンバーグが半分ほど残っているみっちゃんとは対照的に、わたしのお皿はすでにからっぽになりそうだ。琴子は色気より食い気だね、と昔から母に散々言われてきたけれど、大学2回生になってもまだ色気が出る気配はない。
 
「そうだ、このあとまだ時間ある?」
 
「うん、あるけど……」
 
今日は水曜日で、お互い講義は午前中だけだ。家に帰っても掃除をするか、買い出しをするくらいしかない。みっちゃんはピアスを揺らしながらにっこりと笑った。
 
「ちょっと付き合ってほしいところがあるの」
 
 
 
 
 
出町柳から自転車に乗って鴨川を渡り、そのまま北へと真っ直ぐ走る。みっちゃんに先導されてたどり着いたのは、下鴨神社の摂社である河合神社だった。入り口の門のそばにある看板には、「女性 守護 日本第一美麗神」との文字が並んでいる。
 
早く早く、とみっちゃんが手招きをする。慌てて自転車に鍵をかけてあとを追いかける。境内は見渡せるくらいの広さで、女性グループが何組か参拝をしている。大きな舞殿や、その右手にある庵も気になったけれど、1番に目を引いたのは、本殿のところにぎっしりと並べられている手鏡のような形をした何かだ。近づいて目を凝らしてみると、どうやらそれは絵馬らしい。どれも顔が書かれていて、それぞれ違った化粧がほどこされている。
 
「それね、鏡絵馬」
 
わたしの気持ちを察したように、みっちゃんが弾んだ声で話しかけてきた。
 
「河合神社はね、御祭神である玉依姫命(たまよりひめのみこと)が玉のように美しいことから、美人祈願のご利益があるんだって。だからこうやって、顔の形をした絵馬にメイクをして、裏に願いごとを書くんだよ」
 
「へぇー、おもしろいね」
 
「あたしたちも一緒にやろっ」
 
みっちゃんはわたしの手をつかんで、鏡絵馬が売られている場所へぐいぐい引っ張っていく。こんなにテンションが高いみっちゃんはめずらしいので、わたしはちょっとびっくりする。
 
鏡絵馬を購入したあとは、「御化粧室」と呼ばれる建物の中へ入った。そんな名前の建物があるなんて、さすが美人祈願の神社である。中には数人の女性がきゃっきゃっとはしゃぎながら鏡絵馬にメイクをほどこしていた。みっちゃんは自分のポーチからメイク用品を取り出して、慣れた様子で鏡絵馬に化粧をしていく。そんなしゃれたものを持っているはずがないわたしは、用意されていたクレヨンを使いながら、ぎこちない手つきで色をつける。ううん、こういうの、難しい。
 
「こんな感じ?」
 
おそるおそる確認すると、みっちゃんはわたしの鏡絵馬を見て、「うん、かわいい」とうなずいた。みっちゃんの鏡絵馬をのぞくと、さすが、普段からメイクをしているだけあって、おしゃれな顔立ちに仕上がっている。わたしの方はというと、小学生の塗り絵に見えなくもない。
 
鏡絵馬を裏返すと、下鴨神社の御神紋である双葉葵が描かれていた。「あおい」は「あふひ」とも書き、「あふ」は「会う」、「ひ」は「神霊」を示している。すなわち、神様との出会いを意味しているのだとか。「かわいくなれますように」とおそろいの願いごとに名前を添えて、わたしたちは再び本殿祭壇前へと足を進めた。そこには鏡絵馬と同じくらいの大きさの鏡があり、その手前には白い石が置かれている。
 
「この御白石(おしらいし)に触ると美肌になれるんだって」
 
「えっ、本当? 触っとこう」
 
「琴子は肌白いからいいよねぇ。あたし、夏なんて特に真っ黒」
 
「テニスやってるからじゃない?」
 
「そうなの。だから今は幽霊部員」
 
くすくす笑い合いながら御白石に触れ、鏡に自分を写して祈願する。かわいくなれますように、きれいになれますように。色恋沙汰に興味のないわたしでも、やっぱりそんな願いは持ってしまうのものだ。
 
鏡絵馬を奉納したわたしたちは、河合神社の境内をぐるりと見て回った。こうして見ると、鏡絵馬以外にもおもしろいところがたくさんある。境内にある庵は「方丈記」で知られる鴨長明が住んだとされる「方丈庵」。鴨長明は河合神社の神職の家系に生まれたのだという。金福寺の芭蕉庵を見た時も思ったけれど、少し足を延ばしただけで歴史上の人物とゆかりのあるものを見られるのが、京都のいいところだと思う。
 
「それにしても、ちょっと意外」
 
休憩所で美人水を飲みながらつぶやくと、みっちゃんが「え?」と首を傾げた。
 
「だってみっちゃん、あんまり神社とか行かないでしょ。占いとか、神頼みとかしないじゃない。だから、めずらしいなって」
 
「そうだけど……やっぱりすきな人のためにもっとかわいくなりたいし、それにね……」
 
「それに?」
 
みっちゃんはちょっと照れくさそうに体をもじもじさせた。それから、意を決したようにぐいっと美人水を喉に流し込む。言っていることはかわいらしいのに、手の甲で唇を拭くその仕草はかなり男前だ。
 
「琴子の写真見てたら、いろんなところに行きたくなったの!」
 
みっちゃんは一気に言うだけ言って、勢いよく立ち上がった。照れ隠しなのか、ぼけっとしているわたしを置いて、さっさと休憩所から出ていってしまう。
 
わたしはぽかんと口を開けながら、みっちゃんの言葉を頭の中で繰り返した。わたしの写真を見てたら、だって。10秒ほどしたら、ようやくその意味が理解できた。じわじわと喜びが広がっていく。
 
去年、母と真々庵に行った際、自分が言った言葉を思い出した。「琴子はどんな写真を撮りたいの?」そう尋ねられて、わたしはこう答えたのだ。「この写真を見た人が、『この場所に行きたい』って、そう思うような写真を撮りたい」と。
 
手に持っている美人水を、ごくごくと一気に飲み干した。みっちゃんと同じように手の甲で唇を拭って、休憩所から飛び出していく。みっちゃんのあとを追いかけると、わたしから逃げるように、彼女も走る速度を上げていった。
 

エリア #下鴨神社~京都御苑
テーマ #神社
季節 #春

名称 河合神社(下鴨神社の摂社)
主祭神 神武天皇の母、玉依姫命
住所 京都市左京区下鴨泉川町59
アクセス 京阪電車「出町柳」下車徒歩約10分
TEL 075-781-0010
URL https://www.shimogamo-jinja.or.jp/bireikigan/
参考 最新の情報はHP等でご確認ください。

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