4−13 我が恋ひ渡る「茶三楽」

祐斎亭から15分ほど歩いた場所に、茶三楽はあった。
 
「ここです」
 
風にはためく深緑色の暖簾を見つけると、教授は興味深そうにほう、と息を漏らした。いつも教授に案内されてばかりなので、少し誇らしい気分になる。
 
格子の扉を開いて店に入ると、近くの棚には茶菓子や茶葉、茶器などが整然と並べられていた。飲食ができるだけでなく、ここに並べられているものも購入できるらしい。
 
「いらっしゃいませ」と店員が出迎え、わたしたちを座敷へと案内した。そこは喫茶店というよりは茶室に近く、雪見障子の向こうには坪庭が見えた。壁には掛け軸があり、力強い墨文字が踊っている。
 
「何て書いてあるんですか?」
 
「和敬清寂。茶道の基本理念を表した言葉だ」
 
「和」は互いに心をやわらげること、「敬」は相手を敬うこと、「清」は心身を清らかに保つこと、「寂」はどんな時も動じないこと。
 
流れるような教授の説明に、「へぇー」と感心の相槌を打った。そういえば、教授は茶道の経験があるのだった。 
 
他のスイーツにも心惹かれるが、かき氷は今の季節しか食べられない。わたしは迷うことなく、抹茶エスプーマかき氷と抹茶みるくかき氷を注文した。
 
「これはすごいな」
 
目の前に出された二つのかき氷を、教授は驚きの表情で見つめた。抹茶碗に乗った溢れんばかりの氷の上には、抹茶のエスプーマがこんもりと盛られている。そばには小豆と白みつが別皿で添えられていた。
 
抹茶みるくかき氷も、濃厚な抹茶シロップが氷全体を緑に染め、雪のようなミルクエスプーマがふわりと乗っている。かき氷という概念を覆しそうな見た目で、もはや芸術品のようだ。
 
わたしは素早く写真を撮って、抹茶エスプーマかき氷をスプーンですくい上げた。ふわふわの氷は濃厚なエスプーマと混じり合いながら、優しい甘さを残して溶けていく。
 
出町柳の甘味処「みつばち」で食べたあんず氷は、濃厚なあんずシロップと氷が絶妙で、どこか懐かしい味だった。茶三楽のかき氷は、エスプーマの甘さを味わいながら、本格的な抹茶も楽しめる。新旧が融合したような、おもしろい味わいだ。
 
「最高です。そっちはどうですか?」
 
「確かにおいしいな」
 
「あっ」
 
教授が何の断りもなくわたしのかき氷をすくった。
 
「ちょっと、一言言ってください」
 
教授は謝る代わりに無言で自分のかき氷を差し出してくる。わたしは教授の抹茶みるくかき氷を一口食べた。こちらも文句のつけようがないおいしさだ。
 
「どっちもおいしいですけど、教授の方が甘いですね」
 
「そうだな」
 
教授は添えてあった小豆を氷の上に乗せていった。わたしもそれに便乗し、小豆と白みつをかき氷にかけた。先ほどよりも甘さが深まって、これもまたおいしい。
 
「で、卒論の進捗は?」
 
その一言で、口の中に残っていた冷たさが、胸の奥まで降りてきた。
 
図書館ではああ言ったものの、順調とは言い難い。いや、進んではいるが、方向性が合っているのか定かではない。何も答えられずにいると、教授は「そんなことだろうと思った」と息を吐いた。
 
「でもわたし、今大変なんです。教習所にも通ってて」
 
「教習所?」
 
「そうです。卒業までに車の免許を取っておきたくて」
 
「そっちの調子はどうなんだ」
 
「それはまあ、よくはないですけど」
 
「卒論はともかく、免許は急ぐ必要なんてないんじゃないか」
 
「秋にみっちゃんと旅行に行くので、その時にレンタカー借りたいねって話してるんです」
 
「いきなり旅行?」
 
今度は教授の動きがとまった。わたしはピンと来て、思わず頬をゆるめた。
 
「もしかして、心配してくれるんですか?」
 
「アクセルとブレーキは分かるか?」
 
「それはさすがに分かりますよ」
 
期待通りの答えはもらえず、わたしは教授のかき氷にもう一度スプーンを伸ばした。散々ばかにされているのだから、このくらいの仕返しは許されるはずだ。
 
大きなかき氷は少しずつ溶けて、別れまでの時間を示しているようだった。わたしの心に秘めた想いも、こうやって消えてしまえばいいのに。
 
「教授は、どうして京都に来たんですか」
 
ふと気になって、聞いてみた。離れるまでに、少しでも教授のことを知っておきたいと思った。
 
「前に、大学から京都に来たって言ってましたよね。どうして京都だったんですか」
 
「京都に住んでいた人の話を聞いて、素敵な場所だと感じたからだよ」
 
教授は講義中のように淡々と答えた。
 
「卒業して、他の場所に行こうとは思わなかったんですか」
 
「思わなかった」
 
「一度も?」
 
「ここにいるべきだと思ったから」
 
その言葉には、揺るがしようのない重みがあった。それ以上踏み込むのは間違いのように思えて、わたしのスプーンは宙でとまった。
 
「溶けるぞ」
 
教授の声で我に返り、慌てて残りのかき氷を口に含んだ。舌の上に冷たさが広がり、飲み込む前に消えていく。
 
教授は、ずるい。わたしには広い世界を知るべきだと言うくせに、自分はずっと京都に留まっている。ここにいるべきだと言うのなら、わたしにもそう言ってほしかった。ずっと京都にいればいい。そんな言葉がほしかった。
 
でもきっと、そんな風に甘やかす教授のことを、わたしはすきにはならないのだろう。わたしがすきな教授は、そんなことを言わない。茂庵で出会った時もそうだ。何も言わずに、そっとわたしの分まで支払いを済ませてくれた。そんな人だから、わたしはすきになったのだ。
 
結局聞きたいことは少ししか聞けず、伝えたいことは何一つ伝えられなかった。時間は有限だと知っているのに。弱虫なわたしは、いつまで経ってもわたしのままだ。
 
店の外に出て、空を見上げた。夏の光が眩しくて、わたしは逃げるように目を逸らした。
 

エリア #嵯峨野・嵐山
テーマ #食事処・カフェ
季節 #秋

店名 茶三楽
住所 京都府京都市右京区嵯峨天龍寺造路町7
アクセス JR山陰本線:嵯峨嵐山駅 徒歩5分
京福電気鉄道(嵐電):嵐山駅 徒歩3分
TEL 075-354-6533
営業時間 11:30~17:30(17:00ラストオーダー)
定休日 不定休
URL https://www.chasanraku.co.jp
注意 最新の情報はHP等でご確認ください。

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