維新の史跡がたくさん!

木屋町を散策しよう

<京都検定>幕末の頻出問題を参考に史跡を辿ってみましょう!

維新の史跡がたくさん!

木屋町を散策しよう

<京都検定>幕末の頻出問題を参考に史跡を辿ってみましょう!

幕末といえば、新選組や坂本龍馬などが活躍し、とっても人気がある時代ですよね!
琴子さんと教授も壬生寺や八木邸、寺田屋に行って楽しんだみたいですが、実は木屋町にも幕末に関する場所がたくさんあるってご存知でしたか?
 
夢と知りせば 2-10 心は清き『壬生寺』」で、間崎教授はこんなことを言っています。
 
「それなら木屋町通周辺でも歩いてきたら。維新の史跡がたくさんあるよ」
 
みなさんは木屋町通周辺を歩いたことがありますか?
普通に歩いていると見落としてしまいがちですが、教授の言うように、木屋町通周辺には維新の史跡がたくさん。


江戸時代、木屋町通には諸藩の京都藩邸が建ち並んでいました。幕末には尊攘派の志士たちが多く寓居し、藩士や浪士の通行も頻繁だったので、天誅による襲撃事件があとを絶たなかったそうですよ。
 
実は先日、こんも木屋町通周辺を散策してきたので、今回は発見した史跡をご紹介したいと思います!
今回は南から北へ上がっていきました。


京都検定の問題にも頻出なので、しっかりチェックしておきましょう!
ちなみに、赤字が過去に出題された箇所ですよ〜!

○古高(ふるたか)俊太郎邸趾

 

古高俊太郎は、京都で薪炭商をしながら尊攘志士たちを支援し、長州藩の間者として活動していた人物で、あの有名な池田屋事件の発端となったことでも有名です。
 

そんな古高俊太郎の寓居跡は、四条河原町の交差点から、河原町通を北に進み、一筋目を右に入ったところにあります。
 

○中岡慎太郎寓居之地

 

そして古高俊太郎寓居跡からすぐのところにあるのが、中岡慎太郎寓居の地。
 

 

現在では抹茶スイーツで有名な「抹茶館」が建てられています。

〇坂本龍馬 中岡慎太郎遭難之地(近江屋跡)

 

中岡慎太郎寓居之地のはす向かいにあるのが、坂本龍馬・中岡慎太郎遭難の地。
遭難=迷子!? と思うかもしれませんが、「遭難」とは広義で暗殺事件を含んでいるので、迷子になったというわけではありません。
 
坂本龍馬・中岡慎太郎が暗殺された場所がどこだかご存知ですか?
 
……答えは「近江屋」。

「寺田屋」「近江屋」「池田屋」は意外とごちゃごちゃになってしまいますので、今一度整理しておきましょう。
 
寺田屋:坂本龍馬が襲撃された場所。入浴中のお龍が敵に気づいて危険を知らせたことで有名。→
夢と知りせば 2-12 我成すことは『寺田屋』
近江屋:坂本龍馬と中岡慎太郎が暗殺された場所。
池田屋:尊王攘夷派志士を新選組が襲撃した「池田屋事件」が起こった場所。 
 

 

ということで、この坂本龍馬・中岡慎太郎遭難の地=近江屋跡ということになります。

現在はかっぱ寿司になっていますね。
 

◯岬神社(土佐稲荷)

 

史跡ではないですが、岬神社も見ておきましょう。
 
坂本龍馬・中岡慎太郎遭難の地の真向かい、細い路地を入ったところにあるのが岬神社。
土佐藩邸の庭に祀られていたことから「土佐稲荷」とも呼ばれています。
 

 

坂本龍馬がしばしば訪れていたことから、坂本龍馬像が白狐の石像と並んでいますよ。
 

◯土佐藩邸跡

 

さて、岬神社から東に行くと、土佐藩邸跡の石碑があります。
土佐藩邸は高瀬川沿いの旧立誠小学校から河原町通にかけて建っていました。
ここ、要チェックですよ!
 

◯(番外編)角倉了以翁顕彰碑

 

角倉了以(すみのくらりょうい)も京都検定においては超重要人物!
方広寺大仏殿再建のための資材輸送を命じられたことをきっかけに、高瀬川の開削を行った人物です。
ちなみに彼は保津川(大堰川)も開削していますよ。

◯(番外編)日本映画発祥の地

 
 

ちなみにすぐ近くにある旧立誠小学校玄関前の歩道上には、「日本映画発祥の地」と書かれた駒札風の碑があります。
 
 

 
 

日本で初めて映画(シネマトグラフ)の試写実験に成功したのは、実業家であり大阪商工会議所会長も務めた稲畑勝太郎
 
京都検定では日本の映画に関しての問題も出題されます。

特に2級を受験される方は、「稲畑勝太郎」の名前は覚えていてくださいね。

 

◯本間精一郎遭難之地

 
 

さて、少し話を戻します。
この日本映画発祥の地のすぐ近くには本間精一郎遭難之地の石碑があります。
 

 

この場所は「木屋町通蛸薬師下ル」
「木屋町通蛸薬師下ル」ですよ、みなさん!

よーーーーーく覚えておいてくださいね!
 
 

◯彦根藩邸跡

 
 

そのまま木屋町通をずーっと北に上がっていくと、彦根藩邸跡が。

◯龍馬通

 

そして「龍馬通」なんて名前の通りもあります。
幕末の風を感じますね。

◯酢屋(坂本龍馬寓居之跡)

 

そしてその近くには、坂本龍馬寓居の趾である酢屋が。
 

 

こんな感じで石碑が建っています。

◯池田屋騒動之跡

 

さてさて、いつのまにか三条通まで歩いていました。
三条通には池田屋騒動の趾があります。
 
こちらは現在「池田屋」という居酒屋になっていますね。
そのままの名前なので、なんとなく知っているという方が多いんじゃないでしょうか?
 
 
 
 

 

池田屋騒動について細かく書かれています。
 

 

さて、再び木屋町通に戻ります。
高瀬川沿いには史跡がものすごーく密集していますよ!

◯吉村寅太郎寓居之跡

 

まずは吉村寅太郎寓居の跡。
たぬきと縦に並んでいます。
 

◯武市瑞山先生寓居之跡

 

さて、そのすぐ近くには武市瑞山の寓居跡も。
「ちりめん洋服発祥の地」という石碑と並んでいます。

◯佐久間象山寓居之跡

 

そしてそのすぐ近くには佐久間象山寓居の跡が。
今はパーキングになっています。
 

 

吉村寅太郎、武市瑞山、佐久間象山はご近所さんだったんですね〜。
3人セットで覚えましょう。

◯加賀藩邸跡

 

もう少し北に行くと加賀藩邸跡が。
本当に藩邸が多かったんですね。
 

◯佐久間象山 大江益次郎 遭難之碑

 

高瀬川沿いにある佐久間象山 大江益次郎 遭難之碑。
この頃は暗殺事件が多発していましたから、うかうかひとりで歩くこともできませんね……。
平和な時代に生まれてよかったです。

◯桂小五郎 幾松 寓居跡

 

こちらにあるのが桂小五郎と幾松の寓居跡。
 

 

少し小さめの石碑が建てられています。

◯兵部大輔従三位 大村益次郎公遺趾

 

ちょっと名前が長いですが、こちらが兵部大輔従三位 大村益次郎公遺趾。
 
 
 

 

こんな感じで店と店の間にあるので、注意深く歩かないと見落としてしまいます。
 
さて、ここまで来たら少し南に戻って、京都ホテルオークラまで進みましょう。

◯長州藩邸跡

 

少し見づらいですが、京都ホテルオークラにあるのが長州藩邸跡の石碑。
 

 

こんな感じで説明書も設置されています。

◯桂小五郎像

 

同じく京都ホテルオークラの敷地内には桂小五郎像も。
凛々しい顔つきですね!
 

 

ちなみに、ここには出てこなかった薩摩藩邸跡は同志社大学になります。
あわせて覚えておきましょう。

さて、今回は木屋町通周辺にある維新史跡をご紹介しました。
ちょっと歩いただけでもこんなにたくさん発見できるんですよ。
 
幕末好きな方、京都検定を受けようと思っている方は、ぜひ一度木屋町通を歩いてみてくださいね!
こんこん!

参考:淡交社「新版京都・観光文化検定試験公式テキストブック」

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